元年
(1912)
明治45. 7.30 大正に改元。
長崎県医師会長(長崎市医師会長)田代正、病気を理由に辞表を提出。(11.−)
執行部は慰留し辞表預かりとする。
副会長 村瀬三英、赤痢に感染して死去。(11.14)
この年、赤痢が長崎市、南高来郡、西彼杵郡で猖獗、また、コレラも流行、患者数2000人にも上る。
2年
(1913)
長崎県医師会総会を開き、役員改選を行う。(2.11)
会 長
田代 正
(写真は、田代会長、長崎県医師会史掲載使用)
副会長
雨森一郎
幹 事
淺田新太郎、
北島英夫、
鹿児島甲子之助、
公文良能
長崎医学会(袋町青年会館)、同懇親会(共楽亭)。(2.15)
長崎市医師会総会。役員改選し会長に田代 正、副会長 吉雄 敬、幹事 雨森一郎・淺田新太郎・井上 智三郎・一瀬正敏・森路定範を選任。(2.20)
北松浦郡医師会総会。会長 立石 寔、副会長 品川 淳、幹事 武部元治・太田重俊・吉雄敬一郎・牧山房次郎。(2.−)
長崎市医師会臨時総会。(3.21)
長崎市会議員選挙(3級)で会員 品川百樹、同2級で林 宗準・淺田新太郎が当選。(3.29)
佐世保市医師会総会。会長 森口謙哉、副会長 吉永駿太郎、評議員 大石亀美・渡辺勉・三島方献・古賀精一・川原清馬・鴨川知周・富田愿之助。(4.−)
東彼杵郡医師会総会。会長 中尾松濤、副会長 橘川百一。(4.−)
南松浦郡医師会総会。会長 富永吉太郎、副会長 江藤兵馬、理事 梁瀬淳四郎・西田正忠・鍋島芳雄・今道周斎・岩島鐡宗。(4.−)
上下県医師会総会。会長 東大九郎。(4.−)
長崎市、館内・西上町にトラホーム無料診療所開設。(4.−)
五島病院新築・移転。(5.3)
長崎医学会(袋町青年会館)、元長崎医会副会長 西道仙死去。(7.10)
長崎医専教授 桜井三之助送別会。(8.20 迎揚亭)
村上安蔵教授医専在職25周年記念祝賀会。(11.1 富貴楼)
長崎県医師会総会。(11.30 出島内外倶楽部)
長崎医学会。(12.6 袋町青年会館)
3年
(1914)
1.2長崎市内に天然痘患者発生、5月まで150人余に上る。
長崎県医師会定時総会。(2.20 袋町事務所)
長崎医学会総会。(2.21 西山・瓊林会事務所)
長崎県医師会通常会。(5.30 袋町青年会館)
長崎医学会。(5.30 袋町青年会館)
第1次世界大戦勃発。(7.8)
長崎県医師会臨時総会。(7.10 袋町事務所)
長崎市医師会臨時総会。(8.22 袋町事務所)
伝染病研究所、内務省より文部省に移管される。(10.13)
九州医師会代議員 田代 正、富田愿之助、公文良能、袋町事務所に集まる。(10.25)
長崎病院集談会。(11.5)
長崎県医師会総会。(11.22 出島内外倶楽部)
長崎医学会。(12.6 袋町青年会館)
4年
(1915)
1.4長崎市平戸小屋町に腸チフス患者発生、各地に流行し年末まで患者147人に上る。
第1次大戦に修正の軍医の凱旋帰国歓迎会。(1.23 西浜町精洋亭)
長崎医学会総会・懇親会。(2.27 精洋亭)
同医学会総会・例会。(5.15 袋町青年会館)
長崎県医師会役員会。(6.24、9.9 袋町事務所)
会員太田 齋(南高)、県議選に立候補し当選。(9.25)
九州・沖縄医学会総会(袋町青年会館)。同医学会分科会(長崎医専)。(10.12)
同総懇親会(迎揚亭)を開催。(10.24)
九州医師会開会(長崎市役所会議室)、九州各県医師会代議員・来賓招待会(藤屋)を開催。(10.25)
この年、長崎市に初めて電車が開通、市内築町から浦上山里村里郷字浜口(県立病院下)まで。(11.16)
西彼杵郡医師会役員会。出島内外倶楽部で開かれる。(11.20)
5年
(1916)
三菱長崎造船、市内船津町に三菱病院支局を新築。(2.28)
長崎市医師会総会。(3.20 袋町事務所)
長崎市委託学校医協議会。(4.10 市役所)
長崎市医師会副会長 吉雄 敬死去。(6.8)
長崎市大浦上田町にコレラ患者総数454人、うち死亡266人(死亡率58.9%)。
長崎市医師会幹事森路定範死去。(8.29)
長崎市学校医会。(11.15〜16 市役所)
西彼杵郡医師会総会。(11.21 出島内外倶楽部)
長崎県医師会総会。(11.22 市会議事堂)
西彼杵郡学校衛生協議会。(11.23 郡会議事堂)
旧長崎病院跡地(大徳寺跡)を橋本辰二郎が払い受く。
6年
(1917)
細菌検査所実行調査委員会。(1.25袋町事務所)
通俗衛生講話会。(2.6〜3.6)
日本小児科学会長崎地方会発会式。(2.25県会議事堂)
長崎市中川町にコレラ患者発生。(3.1)
長崎市医師会役員改選。会長 田代 正、副会長 淺田新太郎、幹事 井上智三郎、一瀬正敏、板坂 正・徳臣太善 雨森一郎・北島英夫・品川百樹。(3.14)
長崎市医師会総会。(3.20 市会議事堂)
同臨時通常会を開き役員改選。会長 田代 正、副会長 淺田新太郎、幹事 一瀬正敏・徳臣太善・井上智三郎・雨森一郎。(3.24)
長崎市会議員選挙で会員 淺田新太郎・橋本清敏(2級)、中村寅三郎・品川百樹(3級)が当選。(3.28)
市医幹事 徳臣太善、腸チフス感染のため死去。(5.5)
田代 正、長崎医専校長辞任。(5.10)
池邉榮次郎、市医幹事に補欠当選。(5.25)
長崎市医師会総会。役員改選。会長 田代 正、副会長 雨森一郎、幹事 淺田新太郎・北島英夫・鹿児島甲子之助・今村襲輔。(10.10 市会議事堂)
県下の伝染病患者、初発以来赤痢326人、腸チフス428人。(10.25)
西彼杵郡医師会臨時総会。(11.20)
斎藤茂吉、長崎医専教授として着任。(12.18)
県下の伝染病患者、初発より赤痢381人、腸チフス435人、パラチフス122人、ジフテリア189人。(12.24)
7年
(1918)
長崎医専に小児科学教室設立。(1.8)
北松浦郡御厨村に腸チフス発患84人、上志佐村3人、調川村101人、星鹿村13人。(1.12)
西彼杵郡茂木村の天然痘終息。(1.17)
長崎.大浦のロシア人、天然痘に罹患。(1.23)
長崎県・市医師会長 田代 正死去、享年59歳。(1.30)
同葬儀を皓台寺にて行なう。(2.5)
雨森一郎、市医会長に補欠・繰り上げ当選、副会長に淺田新太郎が昇任。県医師会長は空席とし雨森一郎副会長が代行する。(2.20)
西彼杵郡医師会の役員改選。会長 田中徳見、副会長 岩永栄太郎、幹事 原口五一・待山六次郎・千綿常三・渡邊治三郎・草野觀吾・稲松志可太。(3.25)
壱岐郡医師会役員改選、会長 立石重人。(3.25)
西彼杵郡松島村の炭鉱に腸チフス患者、初発以来18人。(3.26)
長崎市茂里町に天然痘患者、初発以来9人。(3.31)
(皓台寺)
春・一世界的流行のスペインかぜ、わが国にも進入、翌年にかけて大流行、死者15万人。県下各地の娼妓病院、名称変更して県立小島病院・同小佐世保病院・同大村武部病院・厳原病院に。(4.1)
長崎市館内町在住の中国人幼児、天然痘発症。(4.20)
以後飽の浦(4.26)、竹の久保(4.28)、発症以来14人。
流行性脳脊髄膜炎、長崎市3人・西彼杵郡1人(4.30)
天然痘、南高千々石3人(5.3)、長崎大浦元町(5.8)、新地町にも(5.10)。
南高来郡学校医会。(5.11 郡役所内)
長崎市伝染病予防委員会。(5.13 市参事会室)
長崎市内の天然痘患者、初発以来27人。(5.15)
長崎医学会例会。(5.17 県立長崎病院)
市主催・衛生講演会(5.24 本蓮寺)、同(5.25 新町小学校)、同(5.26 伊勢の宮大神宮)。同(5.27 晧台寺)、同(5.28 寄合町貸席事務所)。
長崎入港の筑後丸船客(子供)に天然痘患者発生。(6.2)
市内小学校でトラホーム検診、興善小323人、仁田小313人、南大浦小304人、磨屋小183人、小島小151人、新町小151人がトラホームと判明。(6.5)
長崎・戸町の遊郭で娼婦15人が流感。(6.9)
片淵の高商寮内で流感80人。(6.12)
この月天然痘の発生が相次ぐ。
市内目覚町(6.22)、梅香崎・入江町でも(6.23)、発生以来48人。更に女神沖に停泊中の天洋丸にも患者4人発見される(6.30)。
警察署別には、長崎所部内:初発以来、赤痢4人、疫痢6人、腸チフス25人、ジフテリア13人、猖紅熱2人、痘瘡18人、流行性脳脊髄膜炎10人。梅香崎署部内:赤痢2人、疫痢6人、腸チフス5人、ジフテリア41人、天然痘27人、流行性脊髄膜炎5人。
夏から秋にかけては、長崎新地町に天然痘。(7.2)
一方、伝染病が猖獗を極める中、日本軍はシベリア出兵(8.2)、翌日から富山県で米騒動が起こり(8.3)、怱ち全国に波及。
長崎医専の林・磯部・菅沼・大西の4教授、フィラリア症研究で五島へ出張。(8.18)
伝染病の発生状況、9.2現在、県下で赤痢146人(真性80・疑似66)、1月以降、累計真性171・疑似214、計385人。(9.5)
また、長崎・飽の浦で赤痢(9.10)、南高千々石で天症痘2人(9.21)。
スペインかぜも長崎市内で10.29〜11.14まで死亡者182人。
県医師会総会。(10.11)
この日、スペインかぜ、西彼杵郡福田村で患者140余人、長崎女子師範学校でも50余人、初発以来70〜80人(10.26)、この悪性感冒、11.21付調査によれば初発以来、長崎市1万6086人、佐世保市9797人、西彼杵郡3万8150人、南松浦郡9806人、壱岐郡1131人、上・下県郡2172人。また10.20〜12.31まで、県下のスペインかぜ患者数27万2331人、死亡者は2730人にも及ぶと、東洋日の出新聞は報道した。(12.31)
8年
(1919)
1月中の流感患者1532人。(2.19)
長崎市徴兵適齢者610人中トラホーム63人、花柳病28人。(3.18)
西彼杵郡島村端島炭鉱に天然痘患者3人発生。(3.19)
長崎市医師会総会。(3.24)
同臨時総会。会長 雨森一郎、副会長 淺田新太郎、幹事 一瀬正敏・井上智三郎・池邊榮次郎・板坂 定・北島英夫・品川百樹・佐藤喜久雄を選任。(3.27)
長崎市内に腸チフス患者、4.2現在18人。(4.3)
長崎県・市医師会合同役員会。(4.9)
長崎署管内の各種営業者にトラホーム検診を行う。(4.18)
北松浦郡医師会総会。(5.4)
長崎県医師会役員会。(5.26)
長崎港の英国船に真性コレラの船員発見、筑後丸にも保菌者。(8.20)
トラホーム予防法施行(9.1)、福井 屯ら、長崎地方では腸内寄生虫の保有者90%以上と発表(9.1)
県医師会役員会。(9.8、9.19)
医師会令公布。(9.22)
県議選で西彼杵郡医師会の田中徳見・岩永栄太郎が当選。(9.25)
医師会法施行。(10.1)
長崎県医師会総会、医師会令による役員選挙施行。(10.10 市会議事堂)
会 長
尾中守三
(写真は、尾中会長、長崎県医師会史掲載使用)
副会長
雨森一郎
幹 事
淺田新太郎、
北島英夫、
鹿児島甲子之助、
一瀬正敏
県下の伝染病患者、赤痢
385人、うち死亡74人、疑似赤痢221人、死亡90人、腸チフス926人、死亡155人、天然痘61人、死亡11人、ジフテリア200人、死亡55人。(11.10)
新長崎市医師会設立総会。(12.20)
県知事、設立認可。(12.23)
市医師会代議員選挙施行。(12.24)
長崎駅前−桜町間に電車開通。(12.25)
長崎市医師会総会。会長 尾中守三、副会長 淺田新太郎、理事 一瀬正敏・中村寅三郎・朝永
傅
治・井上智三郎・鹿児島甲子之助・北島英夫・板坂 定を選任。
(12.29 袋町事務所)
この年、1.1〜12.30まで県内の流感患者は1万1000余人に上った。(12.31)
9年
(1920)
流感はますます猖獗、長崎市内の磨屋小・浪の平小が閉校、市内の流感による死亡者15人。(1.10)
次いで勝山・興善小も閉校(1.15)、1.1以来の死亡者101人(1.16)、1.20まで141人にもなる。
稲佐町の医師 伊藤文治、流感で死去。(1.22)
市内の1月中死亡者378人。(1.31)
2.1〜2.7の県下の流感患者7016人、死亡328人。
前年11月〜本年1.31まで県内流感患者総数4万9545人、うち死亡者1551人。(2.15)
長崎県医師会設立総会。(4.9 出島内外倶楽部)
県・市医師会長 尾中守三、スペインかぜから肺炎を併発し急逝。(4.16)
同会長葬儀。(4.21 桶屋町光永寺)
長崎医専教授 大西 進、流感で死去。(5.4)
市医師会、会長に村上安蔵を推薦・決定。(4.24)
県知事にその旨届け出る。(4.25)
しかし、村上安蔵は就任を固辞・(6.7)
県、「コレラ予防心得」につき告論出す・(6.11)
県警察部長、県医師会長へ「下痢症届出の件」で通牒・(6.16)
長崎市尾上町前の海上に停泊中の発動機船にコレラ患者発生、以後、8.11まで患者79人、その多くは発病後1〜2日で死亡、茂木村でも132人・(6.16)
県、盆祭り(茂木)。精霊流し(長崎)を禁止。(7.9)
県下のコレラ患者245人、西彼杵郡茂木街道に関所を設け通行を監視。(7.10)
茂木村のコレラ46人(7.11)から100人(7.14)に増え、県下の患者総数330人(7.14)から438人に達する。(8.3)
茂木村のコレラ終息。(8.24)
長崎市上長崎村・浦上山里村の両村を市域に編入。(10.1)
第 25回九州医学会総会(10.23 袋町青年会館)、同分科会(10.24 長崎医専)、同懇親会(迎揚亭)。
長崎市竹の久保に結核診療所新設。(12.−)
この年県下で伝染病患者、赤痢、1052人、腸チフス536人、コレラ381人、ジフテリア183人、パラチフス63人、流行性脳脊髄膜炎38人、痘瘡19人、猖紅熱3人。
10年
(1921)
上県郡豊崎村に天然痘発生。(1.28)
長崎市医師会定時総会、会長 淺田新太郎、副会長 井上智三郎を選任。(2.15)
医専教授 斎藤茂吉送別会。(3.14 県立長崎図書館)
長崎県医師会定時総会、役員補欠選挙。(3.15 出島内外倶楽部)
会 長
雨森一郎
(写真は、雨森会長、長崎県医師会史掲載使用)
副会長
鹿児島甲子之助
幹 事
板坂 定
長崎市議選(1級)に淺田新太郎当選。(3.28)
天草の天然痘、南高来郡口之津村に蔓延(3.31)、長崎市大浦相生町(4.3)、南高口之津西有家に5人(4.15)、布津村にも3人、また大浦相生町に2人、県下では初発以来59人に達する。
1.1〜4.30まで県下の伝染病、赤痢21人、うち死亡66、腸チフス148人、うち死亡38人、パラチフス15人、うち死亡1人、ジフテリア72人、うち死亡21人、天然痘79人、うち死亡11人。(4.30)
長崎市当局、最近5年間の伝染病発生状況を発表、患者総数1878人(死亡781人)、即ち大正中期では一旦、伝染病に罹患すれば約4割が死亡、コレラに至っては半数が死亡することが判明。(5.29)
県下の天然痘患者、初発以来140人、死亡22人。(7.13)
佐世保市で疑似コレラ、一方、長崎市外小ケ倉村にコレラ9人発病、うち4人死亡。(9.3)
県、前年度の県下コレラ患者数363人、うち死亡203人と発表。(9.5)
長崎市竹の久保・紅葉台に市営公斎場を公設。(10.−)
小ケ倉村にコレラ患者9人発生、うち4人が死亡。(10.3)
為石村に赤痢も発生、初発以来213人、うち42人が死亡(10.4)、しかし間もなく下火になり、219人、うち死亡461人に落ち着く。(10.11)
長崎県衛生課、大正10年9月〜10月1日にかけてトラホーム検診を実施、3万1603人中4176人(13.2%)がトラホームであったと発表。(10.11)
11年
(1922)
流感、長崎市で猖獗、毎日平均12人死亡者。(1.24)
五島中学寄舎内で流感35、6人・通学生200人。(1.31)
長崎市内は400余人。(2.2)
長崎県医師会役員改選。(3.26)
会 長
雨森一郎
副会長
鹿児島甲子之助
理 事
淺田新太郎、井上智三郎、中村寅三郎、賀来庄榮
県・医科大学昇格に伴い長崎病院の敷地・建物・一切の設備を国へ移管。(4.1)
長崎入港の対馬丸に天然痘患者発見。(4.7)
健康保険法公布。(4.22)
天然痘、長崎市本紺屋町・伊良林町に発生。(4.25)
一方、猖紅熱も伊良林町に発生。(4.29)
東彼杵郡医師会、役員交替を県医師会へ次のごとく通知。会長 楠木志能夫、副会長 本川杏仙、評議員 楠木・川尻・澁川。(5.1)
長崎市主催の衛生講話会。(6.6 西立神説教所)
県下の伝染病、初発以来総数406人、1月以来赤痢14人、腸チフス205人、パラチフス34人、ジフテリア90人、猖紅熱7人、天然痘51人、流行性脳脊髄膜炎5人。(6.8)
赤痢長崎市高平町(8.6)、北高・長田村に34人発生(8.15)
コレラは県下で21人、その半数は北松・大島村で、真性は10人。(9.21)
南松・若松島神の浦に真性コレラ。(9.28)
浦上山里村里郷に赤痢、一部落で5人発生。(9.29)
赤痢はますます猖獗、初発以来、長崎市で35人、疑似47人、佐世保市51人、疑似30人、西彼杵郡98人、疑似22人、東彼杵郡32人、疑似47人、北高来郡97人、疑似10人、南高来郡109人、疑似44人。県下では初発以来、赤痢499人、疑似273人、うち死亡132人、腸チフス833人、うち死亡179人。(11.16)
島原半島南部に激震(マグニチュード6.5)、震源地は千々石灘、死者27人、重軽傷39人、家屋全壊654戸、半壊1428戸。(12.8)
南松大洗村に天然痘患者が発生。(12.18)
12年
(1923)
医師会令公布、日本医師会成立。(3.19)
長崎医専廃止。(3.31)
長崎医科大学開設、旧医専を付属医学専門部として医科大学に併置。長崎市、学校衛生技師2人と学校衛生助手11人を採用、毎日各小学校児童のトラホーム治療にあたらせる。(4.1)
元県医師会幹事 大橋 純が死去。(5.7)
健康保険部設置。(5.31)
医師会令施行。(6.1)
関東大震災。(9.1)
関東の震災地から避難者、続々と長崎入り(9.9〜18)、総数1926人に上る。
県議選に会員4人当選、西彼 田中徳見、長崎 淺田新太郎、東彼 一瀬勝次、川尻政太郎。(9.25)
シーボルト胸像除幕式、鳴滝塾跡で開催。(11.1)
法定の日本医師会発足(会長 北里柴三郎)、大日本医師会は発展的解消になる。(11.25)
(シーボルト胸像)
13年
(1924)
西彼杵郡医師会定時総会。(3.15)
長崎県医師会定時総会・役員改選。(3.16)
会 長
雨森一郎
副会長
淺田新太郎
理 事
鹿児島甲子之助、井上智三郎、一瀬正敏、北島英夫
シーボルト渡来100周年記念式典、鳴滝塾跡で行われ、東大精神科 呉 秀三教授も来崎し出席。(4.27)
衆議院選に富田愿之助(佐世保市医師会)が当選。(5.10)
病理学者アショッフ教授が来崎、長崎医科大学で講演、富貴楼で歓迎会。(10.11)
14年
(1925)
長崎市医師会(県医師会)事務所、中島川端の袋町23番地に移転。(5.30)
15年
(1926)
県医師会総会。会長 雨森一郎、副会長 鹿児島甲子之助、理事 淺田新太郎・北島英夫・田中政彦・松永房雄・田中徳見を選任。(3.21)
健康保険法の一部実施。(7.1)
長崎県学校医会。(10.15)
第30回九州医師会医学会。東大名誉教授 土肥慶蔵来崎。(10.15〜17 長崎医大)
長崎県医師会臨時総会。(11.25)
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