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長崎県の医療史
戦後の医療史
昭和時代(51年〜60年)
51年
(1976)
長崎県医師会第83回代議員会(1.11)、長崎県医師会名誉会員・元長大学長 古屋野宏平死去・享年89歳(1.20)。県下にインフルエンザが猛威、患者数4万5980人(1.24)。長崎県医師会第84回代議員会・瀧津会長6選(2.22)。

会 長 瀧津久次郎
瀧津久次郎(昭和41年4月1日〜昭和59年3月31日)
(写真は、瀧津会長)
副会長 前田 実、今村臣正
理 事 原口哲之、瀬戸勇美、中嶋輝夫、
牟田末人、久見恵治、石橋 博、
松尾小太郎、西村信一、糸賀 敬、
犬尾博治、高村信夫、田浦 直、
南 弘鱗、中村隆平
幹 事 松尾克巳、村田晨六、草野源一郎

長崎県医師会第85回代議員会(3.28)。
県医師会長 瀧津久次郎、日本医師会監事に就任(4.11)。
福江南松医師会の事務室落成(4.24)。
長崎県医師会第86回代議員会・第28回定例総会(6.20 南高来郡雲仙・富貴屋旅館)。
長崎県医師会第1回地域保健委員会(6.26)。
長大医学部附属病院の新築工事が完成、落成式・地下1階・地上12階建・747床・総工費80億円(7.24)。
元長崎県議 三宅ヤスヨ死去、享年80歳(11.9)。
島原市長選に宮崎忠夫(島原市医師会)が再選される(11.28)。
この年、中山和子医師、長崎新聞文化章を受章。
52年
(1977)
日赤長崎原爆病院の新築移転先、元県立東高跡地と結論(1.31)。
長崎県医師会第87回代議員会(3.27)。
平戸大橋が開通(4.4)。
長崎、未熟児網膜症訴訟の控訴審で福岡高裁、一審判決を支持、原告の控訴を棄却(5.17)。
長崎県医師会第88回代議員会・第29回定例総会(6.19 平戸市ニュー平戸海上ホテル)。
出口雅経(大村市医師会)、日本医師会最高優功章を受章(11.1)。
長崎原爆病院の移転先として長崎東高跡地は九州横断道路の拡幅で立ち退き対象の西山地区の替え地となっているため、結局は実現不可能となり、移転問題は翌年に持ち越す(12.9)。
長崎県医師会第89回代議員会(12.11)。
放射能線影響研究所の長崎施設を長崎支所に昇格、初代支所長に河本定久長崎施設所長代行が、顧問には調 来助同研究所長理事が就任(12.15)。
この年、長大名誉教授・元長崎県医師会副会長 三谷 靖、勲二等満宝章を受章、また樋口正規(島原医師会)、長崎新聞文化賞を受章。
53年
(1978)
放射線影響研究所第6回理事会(1.24 長崎市中島会館)。
長崎市、市立長崎病院内で市立病院成人病センターと市休日夜間急患診療所の起工式(2.17)。
長崎県医師会第90回代議員会、瀧津会長7選(2.19)。
長崎県医師会第91回代議員会(3.26)。
長崎県医師会第92回代議員会・第30回定例総会(5.21 西海橋観光ホテル)。
北松浦郡医師会准看護婦学校創立20周年記念式典(5.28)。
長崎県医師会第93回代議員会(6.11)。
長崎市休日夜間急患診療所条例公布(9.30)。
長崎市、市立長崎病院内に休日夜間急患診療所を開設(10.21)。
54年
(1979)
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日本医師会、ファクシミリの全国ネット完成(2.−)。
長崎県医師会地域保健委員会の答申書提出される(3.10)。
市立長崎病院を市立病院成人病センターと改称(3.17)。
長崎県医師会第9回学校医部会総会(3.18)。
長崎県医師会第94回代議員会(3.25)。
長崎市立病院成人病センター落成式(3.26)。
県議選で田浦 直(長崎市医師会)再選される(4.8)。
長崎県医師会第1回郡市医師会長協議会(6.4)。
長崎県医師会第95回代議員会・第31回定例総会(6.24 諫早観光ホテル道具屋)。
元長崎医大・故角尾 晋学長の胸像を医学部構内に建立(8.9)。
長崎県医師会第96回代議員会、県医師会館建設用地として浦上製鋼所跡地購入を承認(9.29)。
長崎大学歯学部発足(10.1)。
最高裁、長崎未熟児網膜症訴訟で原告側の上告を棄却、2審判決を支持、42年当時の医学水準では発生の予見・早期発見は難しかったと述べる(11.13)。
この年、医療界での叙勲者、勲三等旭日中綬章・仁志川種雄、勲三等端宝章・筬島四郎、勲五等端宝章・樋口正規、白石太一。長崎新聞文化章を近藤 厚が受章。
55年
(1980)
元長崎県医師会常任理事 幸野次郎死去(1.19)。
長崎県医師会第97回代議員会(1.20)。
県救急医療情報システムの稼動開始、県内の救急病院・消防署なをホットラインで結び、コンピュータによって救急医療体制を円滑に進めるようにした(1.23)。
日赤長崎原爆病院と被爆者検査センターで原爆被爆者2世の健康診断を開始(2.15)。
高い数値の残留放射能が検出されている長崎市西山地区の非被爆者住民に対する健康診断が始まる(3.1)。
長崎県医師会第99回代議員会(3.30)。
長崎市大気汚染監視テレメーターシステム開所式(3.31)。
長崎県医師会地域保健委員会答申書が提出される(5.14)。
俳人医師・下村 宏(長崎市医師会)の句碑「龍踊や社頭の秋日捲き込んで」が諏訪神社参道に完成、除幕式(5.25)。
長崎県医師会第100回代議員会・第32回定例総会(6.8 大村市農協会館)。
第36回衆議院選、本県2区白浜仁吉当選(6.22)。
長崎県医師会第101回代議員会、県医師会館問題を承認(7.5)。
長崎県医師会館の新築工事起工式(7.17)。
長崎原爆被災者協議会、県被爆者手帳友の会、長崎原爆遺族会の被爆者3団体の代表が県庁に川嶋県保健部長を訪問、長崎市医師会の了解が得られず難航が続く原爆病院の移転問題に決着をつけて、一日も早く着工するよう陳情(8.30)。
長崎市医師会、原爆病院の移転新築問題で、市衛生部に「病院側が被爆者専門病院としての診療体制を明示するよう対応してほしい」と要望書を提出(9.24)。
長崎県・長崎市・原爆病院・市医師会の4者会談が開かれ、関係者が協力し合って着工への話をまとめることで大筋合意(9.25)。
第23回日本放射線影響学会長崎大会で、岡島俊三長大教授が「西山地区のプルトニウムの残留放射能は他地区の8倍も高い」と発表(10.10)。
長大学長に福見秀雄前国立予防衛生研究所長が就任(10.10)。
国立長崎中央病院発足35周年記念式典(12.5)。
日赤長崎原爆病院の移転新築工事、長崎市茂里町の元製鋼所跡地で起工式(12.13)。
56年
(1981)
新長崎県医師会館
(現在の長崎県医師会館・茂里町)
長崎県医師会第102回代議員会、医の倫理に関する特別委員会設置を決める(1.11)。
長崎県医師会第103回代議員会・第33回臨時総会(3.29)。


長崎県医師会館の新築落成式、旧三菱長崎製鋼跡地・鉄筋コンクリート造4階建て、総事業費約11億5000万円(4.25)。
5.−風疹、全国的に流行。長崎市、水道創設90周年記念式典を市内本河内浄水場で挙行、水道建設の先党者・日下義雄県令、金井俊行区長、吉村長策技師の胸像除幕式を挙行(5.20)。
長崎県医師会第104回代議員会・第34回定例総会、新築成った県医師会館で開催(6.14)。  
長崎市・長崎市医師会主催の第1回長崎市婦人健康大学開校式(10.2)。
老人保健法案、衆議院通過(11.12)。
57年
(1982)
長崎県医師会第105回代議員会(2.27)。
長崎県医師会第106回代議員会(3.28)。
春.−川崎病が流行。長崎大学歯学部附属病院落成式。国立としては九大・鹿児島大に続く九州で3番目の開院(4.17)。
核戦争防止のための国際医師会議IPPNWの長崎支部結成(4.26)。
中国の女医2人、長崎市民病院で3ヶ月間の研修(5.12)。
長崎県医師会第107回代議員会。第35回定例総会(5.30 佐世保市医師会館)。
第56回長崎市医師会代議員会、懸案の医師会病院構想を否決(7.22)。
長崎大水害、死者262人(行方不明者を含む)。重傷者13人、軽傷者745人、家屋全壊447棟、半壊746棟、床上浸水1万4704棟、床下浸水8642棟、被害総額2119億5987万7000円(7.23)。
医師会員200余人が被災。
長崎大水害により被害を蒙っていた市民病院・成人病センター、徐々に復旧、市内の各医療機関も復旧進む(8.2)。
県内の最終被害、死者294人・行方不明5人・重軽傷者805人・被害総額3153億1300万円(8.23)。
放射線影響研究所長崎支所の新築落成披露(10.19)。
長崎県医師会、「救急医療体制の整備推進に著しい成果を挙げている医師会」として日本医師会最高優功章を受章(11.1)。
長崎市茂里町に新築移転する原爆病院の跡地(片渕1丁目)について、長崎市は新地町の済生会病院が進出することで合意したと発表(11.18)。
日赤長崎原爆病院の新築落成式を長崎新聞文化ホールで行なう(11.29)。
この年の県医界の叙勲、勲三等端宝章・瀧津久次郎(長崎市)、勲四等端宝章・近藤儀左衛門(北松浦郡)、勲五等双光旭日章・荒木実(福江南松)、勲五等端宝章・深松幸吉(島原)。毛利琢磨、長崎新聞文化章・一瀬春駒(諫早)。
58年
(1983)
医療費の一部負担を求める老人保健法が2.1から施行されるのに伴い、県・長崎市と県医師会・県歯科医師会は老人被爆者の取扱いについて協議、「外来、入院とも窓口での一部負担金は不要・従来どおりの取扱いにする」ことで合意(1.−)。
臨時香焼町議会、2月施行の改正老人保健法の老人の負担増分を全額町が肩代わりすることが決まる(1.28)。
長崎平和推進協議会の設立総会、初代理事長に秋月辰一郎聖フランシスコ病院医長を選出(2.12)。
長崎県医師会元代議員会議長 西川 茂死去(2.20)。
長大精神神経科教室(高橋 良教授)、長崎大水害後、長崎市とその近郊で133人が精神障害を起こし、このうち「うつ病」の発生率が通常の約2倍に上っていることを発表(2.28)。
2.−老人保健法施行。県立成人病センター多良見病院落成式(3.22)。長崎県医師会第108回代議員会(3.27)。
米国ウィスコンシン州立大から空輸された交通事故で脳死の2歳男児の腎臓2個を使った移植手術が、長大附属病院で成功(4.28)。
長崎県医師会第109回代議員会・第36回定例総会(6.19 島原市九十九ホテル)。
長崎県済生会病院(新地町)、片渕町の旧原爆病院跡地へ移転しオープン・診療科目7科・病床数230床(8.23)。
昭和58年度九州医師会連合会第105回常任委員会(9.17 長崎市)。
長大医学部、角尾学術賞を創設(10.−)。
第83回九州医師会総会・医学会(11.18〜20 長崎市)。
前日本医師会長 武見太郎死去(12.20)。
59年
(1984)
城谷勝明(昭和59年4月1日〜昭和63年3月31日)
(写真は城谷会長)
昭和58年度九州医師会連合会第109回常任委員会・九州ブロック日医代議員連絡会議・第2回各種協議会(1.14 長崎市)。
長崎大学医療技術短期大学部の4月開設決まる(1.23)。
長崎県医師会第110回代議員会、瀧津会長勇退し城谷勝明(長崎市医師会長)が次期会長に決定(2.26)。長崎県医師会第111回代議員会(3.25)。
県医師会長に城谷勝明就任、日本医師会長には羽田春兔が当選・就任(4.1)。
長崎大学医療技術短期大学部の開学・入学式(5.11)。
千住雄造元県医師会副会長が死去(5.13)。
国立長崎中央病院地域医療研究センター落成式(5.18)。
長崎市民病院と成人病センターの元管理計画に反対の市従組、現業の組合員ら約60人、市役所3階の市長室前廊下で抗議の座り込み(5.31)。
深堀保郎元県医師会副会長が死去(5.27)。
羽田春兔日本医師会長、国立長崎中央病院地域医療センター開所記念特別講演出席のため来県(6.10)。
長崎県医師会第112回代議員会・第37回定例総会(6.24 平戸市平戸観光ホテル蘭風)。
長崎県、県内の長寿番付を発表、最高齢は107歳、久保スウ(北高飯盛町)、100歳以上・男7人、女26人の計33人、65歳以上18万6819人で県人口の11.8%(9.9)。

改正健康保険法施行となり、被用者保険本人の医療費が1割負担になる(10.1)。
長崎大学医療技術短期大学部、看護学科(50人)の外に新たに理学療法学科・作業療法学科(各20人)の増設が決まり、60年度から学生募集を始めることになる(11.15)。
元長崎大学長 古屋野宏平の胸像除幕式(11.10 医学部附属病院)。

この年の県医界の叙勲、勲二等端宝章・中沢良夫(東彼杵郡)、勲四等端宝章・土橋安高(壱岐郡)。
60年
(1985)
クリックすると拡大できます。故白浜仁吉元郵政大臣の追悼ミサ告別式(1.18 長崎市浦上天主堂)。
県医師会理事 馬場太郎が死去(2.11)。
長崎県医師会第113回代議員会(3.23)。
長崎県医師会医療秘書学院第23期生卒業式、24年の歴史を閉じる(3.30)。
故国友 鼎長崎医大名誉教授の胸像、医学部記念講堂内に再建され、除幕式。分別順治日展理事が製作し寄贈(5.24)。
長崎県医師会第114回代議員会、第38回定例総会(6.2 南高来郡小浜町雲仙・九州ホテル)。
長崎市坂本町の穴孔法寺境内に眠っていた元長崎医大の被爆無緑仏15体、45年ぶりに平和公園内の原爆死没者慰霊納骨堂に合祀される(6.23)。
被爆死した故角尾 晋旧長崎医大学長が被爆当時に来ていた麻のズボンが東京在住の遺族から長崎市に寄贈され、長崎市国際文化会館に展示(7.8)。
元長崎医大解剖学助教授の中村定八の追悼誌発刊と胸像の建立(8.5 南高来郡千々石町)。
元長崎県医師会副会長・長崎大学名誉教授 三谷 靖死去・享年78歳(10.28)。
長崎市立市民病院と成人病センターの累積赤字が合わせて約40億5000万円(11.20)。
中国四国九州地区医師会立看護学校連絡研究協議会(11.24〜25 長崎市四海楼)。
この年、昭和60年度第16回全国学校保健・学校医大会(11.7 長崎市公会堂)。
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