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長崎県の医療史
戦後の医療史
昭和時代(31年〜40年)
31年
(1956)
長崎県医師会、長崎市袋町カトリックセンターで健康保険改悪反対長崎県医師大会を開く。医師500人、プラカードを揚げて市中をデモ行進(2.5)。
同佐世保地区医師大会(2.6 佐世保市三浦町商科短大講堂)。
長崎県医師会役員改選(昭31.4〜33.3)

会 長 高尾克己
高尾克己(昭和24年4月1日〜昭和31年4月11日)
(写真は、高尾会長)
副会長 木谷勝次
理 事 深堀保郎、光武種助、津田稲夫、
雨森二郎、北村精一、松下仙次、
賀来 勲、永田友諒、瀧津久次郎、
本川千代喜、千住雄造、亀井照見
幹 事 田中稲城、西川 茂

しかし、就任間もなく4.11県医師会長 高尾克巳、脳出血のため急逝、享年71歳。
4.13同会長の告別式を長崎市伊良林町光源寺で執行。
長崎県医師会第21回臨時代議員会(4.24)。
長崎県医師会第22回臨時代議員会、高尾会長の後任に木谷勝次副会長が、木谷勝次副会長の後任に深堀保郎理事がそれぞれ昇任決定(4.29)。
売春防止法公布(5.24)。
長崎原爆病院の建設用地として片渕町のABCCモーター・プールが正式に決定(5.−)。
長崎県医師会第8回総会(長崎市富貴楼)、席上、「小畑日医会長の退陣を要求する」の動議出る(6.10)。
長崎県医師会第23回臨時代議員会、「参議院選後に日医小畑会長の即時退陣を要求する」を決議(6.19)。
光武種助県医理事死去、享年53歳(9.4)。
斉藤茂吉の歌碑「朝明けて…」除幕式(10.24 長崎市桜町公園)。
長崎県学校保健大会(11.10〜11)。
長崎県医師会第24回臨時代議員会(12.16)。
この年、古屋野宏平元長崎大学長、長崎新聞文化章を受章。
32年
(1957)
国友 鼎元長崎医大解剖学教授(元長崎市会議長)死去(1.14)。
国民皆保険4ヵ年計画の大要決定(2.10)。
長崎県医師大会(2.24 諫早市)。
長崎県医師会第25回代議員会(3.24)。
売春防止法・原爆医療法施行(4.1)。
武見太郎、日本医師会代議員会で会長に選出される(4.14)。
長崎県医師会第9回定時総会(5.22 平戸市田口楼)。
長崎原爆病院起工式(6.1)。
諫早大水害・死者539人・罹災者2万人(7.25)。
県内の被爆者17人に初めて原爆医療法を適用、全額国費で治療実施、長崎市15人・市外2人(10.27)。
10.−梅沢浜夫、カナマイシンを開発。ツェンベリーの記念碑除幕式、長崎公園登り口に建立される(11.11)。
西洋医学教育発祥百年記念式・長崎大学医学部百周年記念式・ポンペ顕彰碑の除幕式を挙行(11.12)。
33年
(1958)
長崎県医師会第28回代議員会(2.23)。
長崎県医師会の新役員決まる(33.4〜35.3)

会 長 木谷勝次
木谷勝次(昭和31年4月29日〜昭和41年3月31日)
(写真は、木谷会長)
副会長 深堀保郎・余瀬重信
理 事 津田稲夫、雨森二郎、賀来 勲、瀧津久次郎、
幸野次郎、向笠 潜、和泉成之、本川千代喜、
亀井照見、千住雄造、大久保博舜、
浜田正夫 、貞廣幸壽
幹 事 林田浦治、田中稲城

4.1売春防止法の罰則適用が開始され、長崎丸山の花街より赤線の灯が消える。
学校保健法公布(4.10)。
衛生検査技師法公布(4.23)。
日本医師会長 武見太郎、再選される(4.−)。
長崎県医師会第10回定例総会(5.15 南高来郡小浜町)。
長崎原爆病院(片渕町)開院式を長崎東高体育館で挙行、直ちに診療を開始(5.20)。
長崎県医師特別国民健康保険組合会の発足(7.1)。
長崎県医師会第30回臨時代議員会(12.14)。
元大村海軍病院長 泰山弘道死去・享年70歳(12.22)。
国民健康保険法を全面改正して公布(12.27)。
これにより国民皆保険制度の基礎が確立、翌年1.1より施行。
34年
(1959)
長崎県医師会第32回代議員会(3.15)。
国民年金法公布(4.16)。
県議選に白川直衛医師(壱岐郡)が当選(4.23)。
年金局設置(5.1)。
長崎県医師会第11回定例総会(5.17)。
長崎原爆病院開院1周年、患者を収容できず早くも増築を迫られる(5.20)。
長崎県医師会第11回定例総会・長崎市袋町カトリックセンターで武見太郎日本医師会長の講演会が開催される(7.12)。
8.−日本医師会、医師会病院・臨床検査センター設置要綱を地方医師会長へ通知。
この年、長崎市、はりきゅう施術を国民健康保険給付の対象とする、但し施術は1日1回、1ヶ月10日以内に限定。
35年
(1960)
医療制度調査会令公布(3.21)。
長崎県医師会の新役員(35.4〜37.3)。

会  長 木谷勝次
副会長 深堀保郎、千住雄造
常任理事 賀来 勲、幸野次郎、雨森二郎、向笠 潜、
津田稲夫、瀧津久次郎、鏑木重美
理  事 前田 実、和泉成之、本川千代喜、大久保博舜、
浜田正夫、立百弥七郎、亀井照見、久見恵治
監  事 林田浦治、田中稲城

長崎県医師会第12回定例総会(4.17 諫早市)
長崎県医師会第1回医事連絡懇談会(5.31 長崎市東洋軒ホール)。
医療金融公庫法公布(6.11)。
長崎県医師会第35回臨時代議員会、総理大臣・厚生大臣などに陳情書と決議文を送付することに決定(9.11)。
9.−日本医師会、日本対癌協会と共催で「癌征圧月間」実施。
原爆障害者対策施設資金として米国から長崎大学に1億6000万円寄贈される(10.4余剰農産物協定見返資金)
長崎県医師会第2回医事連絡懇談会(10.22 長崎市東洋軒ホール)
11.−日本医師会に最高優功賞制定される。
病院スト各地に頻発。これに対抗すべく厚生省は病院経営管理改善懇談会を発足させる(12.16)。
長崎市、原爆医療法の一部改正に基づき、認定患者103人に始めて医療手当を支給(12.23)。
12.−長崎原爆被爆者福祉会館が長崎市岡町に完成。工費3455万円。
36年
(1961)
長崎市議会教育厚生委員会、広島大学に原爆放射能医学研究所(原医研)の設置に伴い、長崎大学にも開設するよう文部省へ陳情することを決定(1.27)。
医療危機突破長崎県医師大会(1.29 長崎市袋町カトリックセンター)。
長崎市中央・稲佐両保健所、乳幼児に対する小児麻痺の予防接種を開始(1.30)
原爆病院の本館増築工事完成・病床数102床を311床に増やす・工費1億1000万円(2.1)。
全国一斉休診・医師総決起、しかし国民注視の中に保険医辞退は収拾され、懸案事項は先送りされる(2.19)
国民皆保険制度の実現(4.1)。
長大医学部構内に長大風土病研究所を新築・落成式を挙行(5.15)。
6.−健康保険諫早病院開設・188床、社会保険喜々津病院を健康保険喜々津分岐と改称・200床。
長崎市、小児麻痺流行のため、ソ連製生ワクチンの投与を35小学校区で一斉に開始(7.25〜8.5)。
シーボルト宅跡保存会が発足、会長は北村精一長大学長・副会長は田川 務長崎市長。シーボルト宅跡の整備と胸像の復元に乗り出す(10.16)
駐日米国大使ライシャワー夫妻・内藤文部事務次官を長大医学部に迎えて、第1臨床研究棟竣工祝賀式を挙行(11.19)。
栄町に移転した長崎県医師会館
(栄町の県医師会館)
第61回九州医師会医学会を長崎市国際体育館で開催(11.18〜19)
長崎県医師会、長崎市榎津55番地の市医師会館から袋町(現栄町)の元町村会館跡へ事務所を移転(12.7)。
この年、「長崎医学百年史(中西 啓著・長大医学部編)」を発刊。長崎検疫所、関係官庁、港湾及び船舶関係業者で、長崎港衛生管理運営協議会を結成、清掃船を出して汚染された長崎港の清掃を始める。
37年
(1962)
1.−長崎市立市民病院の新館増築工事完成(鉄筋コンクリート造4階建て・工費6035万円)。長大医学部に附属原爆後障害医療研究施設が設置される(4.1)。
長崎県医師会の新役員(37.4〜39.3)

会  長 木谷勝次
副会長 瀧津久次郎、千住雄造
常任理事 鏑木重美、幸野次郎、雨森二郎、
向笠 潜(S38.3.18任)、石井清英
理  事 賀来 勲(S38.5常任理事就任)、
津田稲夫(S38.4.1常任理事就任)、
前田 実、本川千代喜、大久保博舜、
浜田正夫、立石弥七郎、久見恵治、松村 威、
和泉成之(S37.12.2辞任)
監  事 林田浦治、田中稲城

長崎県医師会第14回定例総会(5.20 島原市)。
長崎県医師会第14回定例総会(5.20 島原市)。
サリドマイドを主成分とする睡眠薬の製造販売中止の勧告(5.21)。
公約尊重、政治道義高揚の長崎県医師・歯科医師・薬剤師大会(6.18 長崎市平和町国際文化会館)。
集中豪雨、県央。県北を襲う。県医師会 木谷会長・鏑木常任理事、被災地の会員を見舞う(7.1)。
長崎地方にも集中豪雨(8.29)。
医療法一部改正により公的病院の開設、病床数規制を行なう(9.15)。
福江市大火、公立五島病院など8医療機関が全焼(9.26)。
長崎大学長選、再選を目差す現学長 北村精一を和泉成之(長大医学部小児科教授)が破って当選(11.18)。
長崎県医師会第45回臨時代議員会(12.2)。
諫早医師会館の落成・長崎県医師会、県選出国会議員及び県議会へ「社会保険診療報酬における地域差の全面的撤廃」を陳情(12.18)。
この年、水俣病問題が起きる。調 来助長大医学部教授、長崎新聞文化章を受章。
38年
(1963)
シーボルト胸像
(鳴滝のシーボルト胸像)
シーボルトの胸像、長崎市鳴滝町のシーボルト宅跡に19年ぶりに復元され除幕式を挙行(3.16)。
長崎市内の医師119人、医療自動車部会を結成(4.12)。
長崎県医師会第15回定例総会・互助会総会・医師連盟大会(5.19 平戸市)。
佐世保出身・癌研究会附属病院長 田崎勇三死去(5.24)。
老人福祉法公布(7.11)。
長崎県医師会第47回臨時代議員会(8.25)長崎県医師信用組合の創立総会、組合員803人・出資金1043万円で発足。
長崎県コレラ対策本部発足(9.22 韓国釜山にコレラ発生、防疫体制を確立)。
長崎県医師会第49回臨時代議員会、日本医師会の指令により保険医総辞退提出を決定(11.9)。
39年
(1964)
長崎県学校医会長 木谷勝次、学校医手当増額の陳情書を知事・県議会・教育長・教育委員会・各市町村長に送付(1.28)。長崎県医師会第50回臨時代議員会(2.9)。救急病院等を定める厚生省令公布(2.20)。長崎県医師会第51回定例代議員会(2.27)。長崎県医師会第52回臨時代議員会(4.26)。

会  長 木谷勝次
副会長 瀧津久次郎、千住雄造
常任理事 鏑木重美、幸野次郎(S39.12.31辞任)、
雨森二郎、石井清英、賀来 勲、
筬島四郎(S41.1.23辞任)
理  事 前田 実、本川千代喜、大久保博舜、
浜田正夫、立石弥七郎、久見恵治、
松村 威、原口哲之、梶山 茂
監 事 川崎政次、下村 宏

長崎県医師会の新役員(39.4〜41.3)。
4.−日本医師会長選、武見太郎現会長5選。第8回全国医学部長会議でインターン制度廃止を決定(5.26)。
県衛生部、長崎市立市民病院など市内病院6ヶ所・診療所7ヶ所の計13ヶ所を救急病院に指定(6.3)。
母子福祉法公布(7.1)。
日本医師会長 武見太郎来崎・講演会を開催(長崎市公会堂)。長崎市医師会臨床検査センター視察(7.19)。
県医師会、再診料10点設定要求貫徹の陳情を上京して地元選出国会議員団に対し行なう(9.24)。
長崎県医師会第53回緊急臨時代議員会(11.27)。
県下郡市医師会の一斉集会が開かれる(12.12)。
全国一斉研修長崎県医師集会(12.20)。
長崎原爆病院、総合病院として認可される(12.26)。
40年
(1965)
第1回長崎市公衆衛生大会(3.21)。
長崎県医師会第55回代議員会(3.23)。
原爆医療法・同法施行令の一部改正施行(4.1 医療手当の増額・所得制限の緩和・健康管理制度の強化)。
長崎県医師会第17回定例総会(4.11 諫早市・県立諫早高校体育館)。
長大学長 和泉成之、狭心症悪化で附属病院へ搬送(5.14〜19 長大紛争)。
理学療法士・作業療法士法公布(6.29)。
公害審議会令公布(6.30)。
母子保健法公布(8.1)。
医療保険基本問題対策委員会発足(11.22)。
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